今回は、力強い企業の輪郭を幾つかの考え方を元に描いていきたいと思います。ここで挙げる内容は、考え方を網羅的に整理したものではありません。市場選定が優れている、経営陣の能力のバランスがよい、といったチェックリストのような整理では見えてこないものがあると感じているためです。これまでのコンサルティング支援の中で観察してきたことや、自分なりに見聞きし考え続けてきたことを踏まえ、敢えて偏りを承知のうえで整理しています。実際にすべてを体現している企業は、現実にはほとんど存在しないかもしれません。しかし、企業が鈍らずにあり続けるための一つの理想像として、こうした見方があってもよいのではないかと考え書きました。本稿が、力強い企業の輪郭を考える際の一つの手がかりになれば幸いです。
■戦略論
①説明が難しくてわかりにくい戦略がある
世の中で語られる戦略の多くは、結果が出た後に整理され、説明されたものです。しかし本来、戦略とは現実の時間の流れの中で未来に向けて構想される行動の仮説であり、その段階では十分に説明できる性質のものではありません。未知で複雑な可能性を前提にしている以上、将来に向けた構想は本質的にわかりにくくなります。むしろ、現実に深く根差し、よく考え抜かれ、発想が豊かであればあるほど、他者には理解しにくくなるものです。戦略を過度に説明可能なものにしようとすると、思考は短期的で確実な領域に収斂し、目の前の事象に制限されていきます。企業が鈍らないためには、説明できることだけを考える状態に陥らないことが重要だと考えます。説明しやすく分かりやすい戦略ほど、模倣されやすく、結果として競争に陥りやすいという側面もあります。
例えば、Amazon。1990年代後半から2000年代にかけて、長期間ほとんど利益を出さず、物流網・データセンター・品揃えへの投資を続けました。当時は利益を出さない企業モデルは持続しないという批判が強く、戦略の合理性は広く理解されていませんでした。そしてNetflix。DVDレンタルで成長していた時期に、まだ採算が不透明だったストリーミングへ急速に舵を切りました。自社の主力事業を自ら弱める判断は、当時の視点では合理的に見えにくく、なぜ儲かっている事業を捨てるのかという疑問が多くありました。
②構想力をもって夢を語っている
企業が自ら目指す価値を持たないとき、経営の羅針盤は競争相手との相対的位置関係だけになります。その結果、利益の多寡や順位が評価の中心となり、何を生み出すのかという問いは後退していきます。本来、経営者に求められる見識とは、自らが創ろうとしているものの姿を構想として描き、それを信じて語ることではないでしょうか。それはまだ存在しないものに向けた試みである以上、容易には理解されません。結果が思うように出ないときほど、外部環境に理由を求める前に、自社を単なる利益創出装置として見ていないか、自身の構想が空虚になっていないかを自問する必要があります。その問いを失ったとき、企業は静かに鈍っていくのだと思います。阪急電車創業者の小林一三の「乗客は電車が創造する」、総理大臣の田中角栄の「道路は文化だ」といった壮大な構想力を少しでも持ちたいものです。
■価値基準論
①計測ではなく価値を見ている
何に価値があるかという判断と、それをどれだけ実行できたかという計測は、本来別の次元にあります。計測結果が価値の評価として意味を持つのは、尺度そのものが価値判断を正しく反映している場合に限られます。しかし現実には、自分たちにとって何が価値なのかを問う前に、世の中で良いと言われている項目(例えばROE、NPSスコア、CO2排出量など)を精度よく測ることばかりが重視されがちです。価値は本来主観に属し、客観化できるのは計測だけであるにもかかわらず、数値があたかも絶対的な価値であるかのように扱われることも少なくありません。他者が定めた尺度で高評価を得ることが目的化したとき、企業は自らの判断軸を失い、思考する力を徐々に手放していきます。人流ログやwebサイトの訪問、滞在時間などのデータを取得することが以前より容易になった現在ほど、何を測らないか、何を価値として扱わないかを決める判断が重要になっているのではないでしょうか。
②自己否定ができる
自社を変革するときは、外部から危機が突きつけられてから行うものではなく、まだ余力のある段階で着手してこそ意味を持つものです。しかし現実には、明確な不都合が表面化していない状況で現状を否定することは容易ではありません。人は、未だ現実化していない負担を自ら引き受けることを本能的に避けるからです。それでもなお、否定すべきことを俎上に載せ、摩擦や痛みを伴いながら一つずつ処理していくことが変革の実態です。現状の業務を否定したときの副作用への漠然とした懸念や、現状維持を正当化する言葉が増えたとき、変化は止まり始めます。企業が鈍らないためには、上手くいっている時にこそ、自らが成長できているか/改善すべき問題点がないか/成功体験に酔いしれていないか、を疑う姿勢が欠かせないのだと考えます。
■組織・仕組論
①社員が経営者を制御している
統治とは、一方的に経営者が管理することではなく、統治される側が統治する側を制御する仕組みを含むものです。組織においても同様に、経営者はその地位にあるから統治者であるのではなく、社員から正当性を認められ続けることによってその役割を担い続けることができます。組織の内部に自己フィードバックの仕組みがあり、上に対して下から現実が正しく伝わるとき、統制は実質的に機能します。しかし実際には、組織が大きくなるほど、上層には都合のよい情報だけが上がり、不都合な事実ほど伝わらなくなる傾向があります。現場は空気を読み、管理職は波風を立てないことを優先し、経営は実態を把握しているつもりのまま意思決定を行う。この状態が続くと、組織は静かに現地現物との感触を失っていきます。社員が経営者を制御している組織とは、反対意見や違和感が表明されること自体が不利益にならず、現実が歪められずに伝わる構造を持っています。それは必ずしも形式的な制度の問題だけではなく、発言が評価に直結しないという心理的な安全性や、異なる見解を受け止める文化によって支えられていると考えます。古代中国の話ですが、太宗(中国・唐王朝の第2代皇帝で名君として知られ、貞観の治と呼ばれる統治を築く)は、臣下が皇帝を諫めることを重んじ、とりわけ魏徴(諫言の名臣)が政策や判断の誤りを率直に指摘し、それを受け入れて統治を修正したと伝えられています。こうした関係性の中に、統治というものの一つの姿があるのだと思います。
②組織の要となる価値基準が暗黙裡に共有されている
組織が機能しているとき、そこには言葉にされなくとも共有されている価値基準があります。何を良しとし、何を良しとしないのか、どこまでやるのか、どこで踏みとどまるのかといった判断の基準が、日々の振る舞いや意思決定の積み重ねの中で自然に伝わっていきます。社員が感覚となり、手足となり、それぞれが考えて動くとき、組織は一つの身体のように働きます。一方で、この基準が共有されていない組織では、細かなルールや手続き、認識合わせの機会を増やさなければ統制が取れなくなります。判断を委ねることができないため、確認や承認が増え、動きは遅くなります。形式的な統制が増えるほど、本来必要だったはずの判断力や責任感が弱まり、結果としてさらに統制を強めざるを得なくなるという循環が生まれます。暗黙知は組織を支える力にもなりますが、問い直されず固定化すれば足枷にもなります。過去には合理的だった前提が、環境の変化によって意味を失っているにもかかわらず、慣習として残り続けることは少なくありません。共有されている前提や価値を意識的に見直し、必要に応じて言語化し、修正していくことを怠れば、組織は徐々に硬直していきます。コンサル支援の具体例で言えば、部署を跨いだメンバー間の仕事の時間軸の感覚(この仕事だと営業-開発の間で1週間以内に終わるなど)が暗黙裡に合っている企業は円滑に物事が進んでいるな、と感じます。
本稿で挙げた考え方は、いずれも整然とした成功法則ではありません。むしろ、企業が無意識のうちに寄りかかってしまう思考や仕組みに、意図的に揺さぶりをかける視点です。現実の企業がそのすべてを体現することは難しいかもしれません。それでも、自らの前提を疑い、価値を問い直し続ける姿勢を失わない限り、企業の輪郭は曖昧にならずに済むはずです。鈍らないための緊張感こそが、力強い企業の輪郭を描き、保ち続けるのだと思います。




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